「山小屋」と呼ぶ別荘や、都内のプライベートスタジオで気の赴くままに歌い、ギターを鳴らす――。息遣いや衣擦れの音、鳥のさえずりといった環境音さえもありのまま収録した作品は、すぐ目の前に直太朗がいるかのような親密さを醸し出している。 サブスク全盛の時代に、アナログの極致のような手法をとるのはなぜなのか? 「日常の延長」のようなレコーディングから見えてきたものは? 直太朗行きつけの東京・代々木上原「初音鮨」で、『原画』のミュージックビデオを手がけた映像作家の番場秀一とともに語り合った。

「CD販売のみです」ファンもびっくり

直太朗:「サブスクでは配信しません」「えー!」となったんだけど、実は「フィジカルでつくります。それを会場に来た人限定で販売します」って言った時に拍手がきたんですよ。 配信がないのは嫌だけど、姿勢に対しては賛同してくれている。「そこまで行くなら、いいんじゃない?」「許す!」みたいな。そこにヒントがあるなっていう気がします。 僕たちは難しい世代で、ある意味すごくいい時代に音楽業界に入ってきた。CD全盛期の最後くらいで、まだミリオンヒットもあって。いまだったら死語でしょ、ミリオンとか。 その後、配信になっていったんですよね。だけど僕たちはノウハウがないし、海外の流行に対して敏感でもないし、「何、何?」みたいな。正直、そのスピードに気後れしてた。 とはいえ、レーベルと一緒に二人三脚でやっていく中で、そこに順応していかなきゃいけない。間違っても大衆音楽なんだから配信でこうしよう、TikTokでこういう企画やってみようよっていう流れに食傷気味になっちゃって……。 もともとは弾き語りで、お客さんの前にギターケースを開けて、そこにシングルCDとかMDとかカセットとかを置いて、本当に直売農家みたいなことをやってたから。 別にそれを懐古主義的にやろうというわけではなくて、まず「こういうものができました」って手渡しできる実感がほしかったんだと思うんですよね。

薄まる実感にジレンマ

直太朗:デビューした時も、僕のプロジェクトにはお金をかけてもらえなくて、初回出荷枚数が1000枚くらいだったんですよ。当時でいうインディーズ以下。 自分の機動力と足で稼ぐしかないから、ギター一本と薄いサンプルCD持って全国回ることになるわけなんですけど。そこはもう自分のさだめっていうか。不自由さ、効率の悪さみたいなものが、自分のやり方に合ってたんだと思います。 でも、たまさか曲が認知されたら、そういうことをあんまりしなくなっちゃって。目の前で聴いてくれる人、消費者の皆さんとのつながりみたいなものが、どんどん希薄になってるのは感じてました。 誰に、どういう風に渡すかっていうことをもっと具体的にしていかないと、気の届いたアイディアなんてつくれないよなっていうジレンマ、フラストレーションがあった。 だから今回、会場限定で目の前の人に歌って、良かったら買ってもらう。買ってもらったものをできる限り手渡しで渡す――というのは、たぶん自分が音楽をしている実感がほしかったんですね。 配信とか、レーベルの何とか主義に対抗してるわけじゃなくて、まずもう一回、自分の根っこの部分に潤いを与えたいっていう感覚がありました。手の届く範囲、目の届く範囲でまず届けるっていうのが、やっぱり自分の身の丈に合ってるなと。 ――もう一度、直売農家に戻るわけですね。 直太朗:一応オーガニック、無農薬なんで(笑) ――番場さんはCDを手渡しするという取り組み、どう見ていますか。 番場:やる側の美意識じゃないですか。実感が得たくてやってる感じは一緒だと思います。 僕の場合は発注を受けての仕事なので、また違う部分もありますけど。

異例の制作スタイル

直太朗:来た、来た。 番場:たぶん、僕行った時にはまだ全然エンジンかかってなくて、大丈夫なのかな?みたいな。次の日に僕は帰ったんですけど、後から5曲録ったと聞いて。 ――「俺のいる時に歌ってくれよ」みたいな。 番場:そうですね。全然、歌わないです。ボサーッとしてて。 直太朗:たぶん、俺その日が初日で探ってたんだと思う。バンバン(※番場さん)がいるから(映像も)撮れた方がいいよなと思いつつも、そこに気を遣って録っても今回の趣旨と違っちゃうなと。 だから録れるに越したことはなかったんだけど、その日は2曲くらいしか録ってなくて。次の日から急に波長がワッと合って録るわけなんですけど。

すべてが空気になる瞬間

直太朗:「結果的に録れてた」っていうのが理想です。 マイク立てました、ギターセッティングしました、「回ってます、お願いします!」みたいな感じだと、今回の趣旨とは違ってきちゃう。それはそれで面白いんだけどね。 コンサートで幕が開いて、お客さんが拍手して、光が当たって。そういうエンタメからかけ離れたところに、曲の生まれた瞬間っていうのはあるわけで。 たとえばいま、こうやって(初音鮨で)話していても、冷蔵庫の音がバーって鳴ってる。ほかにも、スキーのロッジとかにある、めちゃめちゃ暖かい、何とも言えないガスヒーターのあの感じとか……。 要するに、音楽だけじゃなくて五感で覚えている懐かしさのようなものがある。その空気を録るっていうのが、今回の『原画』の趣旨だろうなと思ってます。 「誰かに聴かせよう」とかほとんど思ってなくて、ただスケッチしてる。一人だったらまだいいんだけど、やっぱり人数がいればいるほど、なかなかそういう感覚にはなれなくて。 すべてが空気みたいになった瞬間に、ワーッと取り出すっていう。ひとつの曲なんだけど、曲以外のものを録ってる感じでした。

「撮れ高」なくてもいい

直太朗:僕は、そんなものは記録化できないって思ってたんですね。でも、テープレコーダーとかに録りためた歌を、ふとスタッフの人に聴いてもらった時に「こういうの聴きたいですよね」って言ってくれて。 僕にとっては化粧してないものだからちょっと恥ずかしかったんだけど、それがキッカケで今回の弾き語りベストアルバムに行き着いたんです。 ――番場さんの目から見て、山小屋での「すっぴん」の直太朗さんはどうでしたか? 番場:すっぴんっていうか、初日はまだやる気もなかった。ただダラダラしてるだけで。 直太朗:でもほら、つまんないじゃない? すっぴんって。つまんない時間を許容できるか、みたいなところもあるじゃないですか。 番場:そうですね。それはそうかもしれない。 直太朗:『生きとし生ける物へ』(のMV)を見た時に、バンバンこんな映像撮ってたんだと思って、ちょっと驚いた。俺マジでただそこにいただけで、本当に(撮られている)気配がなかったから。撮れ高なかったんだなって思ったけど。 番場:撮れ高なかった(笑) 直太朗:けど、そこもいいんですよね、なんか。 ――変に無理してない。 直太朗:うん。

「ただ、それだけ」の凛とした強さ

直太朗:良かったです! ――とはいえ、おそらく『どこもかしこも駐車場』に込めた思いは?とかインタビューで聞かれても困っちゃう、みたいなところもありますよね。 込めてない。込めない方向に行ったらあんな曲ができちゃった、みたいな。ただ、そこにいるっていう強さのある曲ですよね。テーマは少しコミカルだけど、とっても凜とした曲だなって思うんですよ。 井上陽水さんの『長い坂の絵のフレーム』という曲があって、《この頃は友達に 手紙ばかりを書いている》《時々はデパートで 孤独な人のふりをして》ときて、最後はただ《長い坂の絵のフレーム》っていう。 ただそれだけを歌ってるんだけど、もうすべての喜怒哀楽が詰まってる曲で。喜怒哀楽というか、感情のもっと奥にある……何ていうの? ああいうのって、やっぱり曲のあり方として理想だよなっていう。 ――『原画』のコンセプトにも通じますが、「ただそれだけ」「ただそこにある」って実は一番難しいような。 直太朗:そう。でも、それがたぶん一番強いんですよ。 我々は「ただそこにある」ものをつくるんだけど、ポップスでもあるから、少しの「道」くらいはどこかでつくる努力はした方がいいのかな?とも思いつつ。ただ、ここは議論があるところだと思う。 そこに来てもらうまでの道筋とかストーリーをつくるか、ただそこに凜とあるものだけをつくるかっていうところは意見が分かれるよね。 番場:難しいな。 直太朗:難しくないよ。バンバンの作品っていうのは、「もうそこにできてしまったんだ、こういうものが」っていう強さがあるから。俺はいつも、ちょっとクレイジーだなと思う。 一方でバンバンはたまにちょっと悩んでる部分を見せたりして、「俺にもそういうことができたら……」みたいなことを言ったりもするんだけど。 番場:そうですねぇ。ところで、『駐車場』はこれまで、『原画』みたいに歌ったことはあるんですか? 直太朗:ない。アルペジオでってことでしょ? 番場:そうそう。 直太朗:ない、ない。 番場:ほかのアーティストの人がカバーしたみたいな感じだったので。 直太朗:何年と歌ってきてるのにね。これまで歌ってきた感じで歌おうとしたんだけど、なんか違うな?って何回か録り直して、ああいう風になったんだと思う。 番場:あれはええ感じですね。『原画』の『駐車場』とてもいいです。 1976年、東京生まれ。シンガーソングライター。2002年、ミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビュー。翌2003年に『さくら(独唱)』の大ヒットで注目を集め、NHK紅白歌合戦に出場した。 デビュー20周年を迎えた昨年、アルバム『素晴らしい世界』を発表。今年1月17日には、自身初の弾き語りベストアルバム『原画I』『原画II』を出す。俳優としてNHK連続テレビ小説『エール』に出演するなど、演技力にも定評がある。 番場秀一(ばんば・しゅういち)

京都府峰山町生まれ、映像作家。1997 年に映像ディレクターとしてデビュー。森山直太朗、 BUMP OF CHICKEN、椎名林檎、Superfly、くるり、エレファントカシマシなど数多くのMV、ライブビデオを手掛ける。

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